あすりーじょ

(国立理系大学→留学→就職→国際結婚→移住→大学入学)*トライアスロン

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人種差別主義者とは

長年抱いていた人種差別についてのトピックがあります。

 

 

 

それは「言葉が与える意味は人によって受け取り方が違う」ということです。

 

 

 

今回そのトピックについてのディスカッションに出くわしたので、つらつら書いていきます。

 

 

 

主な登場人物はデンマーク人とアメリカ人です。

 

 

 

ひょんな会話から"Nigger"(ニガー)(「黒んぼ」と日本語で訳されることもあります。)という発言が出てきました。

 

(ここからは自分の解釈に基づいた議論の一部です。)

 

アメリカ人)いや、それは使っちゃダメだろ。

 

 

デンマーク人)いや、言論の自由があるでしょ。自由の国アメリカだろ?

 

 

アメリカ人)いくら自由の国でも、言っていいことと悪いことがある。その言葉には何年もの歴史があってそれを考えて発言する必要があるだろ。

 

 

デンマーク人)でも発言する自由くらいはあるし、言葉の背景の意味なんて変化するだろ。

 

 

アメリカ人)そういう発言をするとお前はレイシストになるぞ。

 

 

デンマーク人)そう言った意味では俺はレイシストかもしれない。でも過去は過去、今は今。そういう人たちを軽蔑したりはしないからそういう面ではレイシストではない。

 

 

アメリカ人)とりあえずアメリカ人はそういう歴史の授業を受けてきているから。

 

 

デンマーク人)でも過度すぎるだろ。例えばある人が「マカロニ」という言葉に敏感に感じていて、その場でマカロニって言ったらその人が傷つくから言わない。かといって、マカロニという言葉を発してはいけないという訳ではない。

 

 

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最後に彼の例え話にどうしてマカロニを出したのかは不明ですが、言葉はたくさんの意味を含んでいます。言論の自由と言われる世界でもNGワードに過敏になっていては言論の自由ではないと主張するデンマーク人とNGワードNGワードと言い張るアメリカ人の議論でした。

 

 

おそらくニガという言葉の意味の過渡期にこの議論が生まれているのかもしれません。ニガという言葉についての歴史は知りませんが、ニガという言葉を本当にNGワードとして学んできたアメリカ人と、離れた大陸で日常生活で出てくるレベルになったヨーロッパ人が遭遇したらそりゃ議論になります。

 

 

言葉の背景を「知らない」こともよくないと思います。

 

 

 

日本も人種差別主義者と非難されたことがありました。

 

 

去年の年末の某有名お笑い番組でとある芸人が黒人の真似をするために顔に黒い塗り物を塗りました。

 

 

これがアメリカにとっては「ブラックフェイス」と呼ばれるタブー行為で、翌日ニューヨークタイムズに取り上げられ、日本のメディアはそこで初めて知ったのです。

 

 

正直、(個人的な意見として、)日本人は指摘されるまで気づかないと思います。

 

 

黒人の人は肌の色が違うのだから、真似をするためには塗っても仕方ないのではないのか?という考えもできるからです。別に軽蔑の意味なんてありません。

 

 

黒人だけでなく、白人の真似をするために白塗りをしてテレビに出ている人も人種差別主義になりますよね。

 

 

日本人はこの黒人の歴史を知りません。だから知らぬ間に人を傷つけていることもあるのです。

 

そして知らないが故に自分たちが人種差別主義者かそうでないかすら意識していない日本人が多い気がします。

でもそういう面ではいいことなのかなとも思ったりします。宗教に対する見方に似ているのかなと。

無関心ではないけれども、敏感でもない。

 

でもそれによって招かれる問題も少なからずあるということを留めておかなければいけません。

 

以上、

「表現すること」は知らぬまに重みを抱えていることを頭の片隅に置いておく必要がある 

 

人種の歴史についてあまり意識しない日本は、今後このような問題に出くわしやすいかもしれない。

 

という意見でした。

 

でもこの「知らない」ものはどう埋めればいいのでしょうか。これは私の抱える解ききれていない課題です。